50周年記念コラム~未来の関西フィルへ K.0514
皆さま、こんにちは!
「50周年記念コラム~未来の関西フィルへ」K.0514です!
創立間もない関西フィルを知る数少ない団員の一人、ファゴット首席奏者、
星野則雄からのメッセージです。
この度50周年を迎える事が出来たのは、多くの聴衆の皆様、支援して下さる皆様のお陰と、とても感慨深く、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。この50年の間には幾度となく存続の危機がありました。
私の知る最初の転機について書きたいと思います。
私が入団したのは1980年、関西フィルの前身である、ヴィエールフィルの時でした。関西フィルハーモニー管弦楽団と改名し、新たなスタートを切る2年程前の事です。
練習場は天満橋にある國民会館。戦前の古い建物で暖房設備が充分ではなく、冬はとても寒くコートを着たまま合奏していました。
演奏会も演奏するだけではなく、本番会場へのトラックでの楽器運搬、積み下ろし、舞台セッティング等、すべて楽員で行っており、エキストラの方への出演料を渡す事もしていました。
室内合奏団からオーケストラへの移行期でもあり、団員が少なく、多くのエキストラの方に頼らなくてはならなかったため、弦楽器の編成が足りないまま練習する事もしばしばでした。
指揮者はヴィエールフィルの創立者である宇宿允人氏で、その指導は厳しく1つのフレーズ数小節に1時間以上かける事もよくありました。要求が高く、絶対に妥協しません。その要求にプレイヤーが答えられた時、指揮者の世界観が広がり、人を感動させる演奏になる事もよくありました。彼の音楽に心酔する熱狂的な聴衆も多く、とてもカリスマ性のある方でした。
しかし、いろいろな事情で宇宿さんとは決別する事になり、同時に意を同じくする、コンミス、弦楽器のトップ奏者達も一緒に退団し、存続が難しくなってしまったのです。残った団員皆でいかにオーケストラを存続させ、演奏を続けていくか、夜遅くまで何度も話し合ったのをよく覚えています。
その時救いの手を差し伸べて下さったのが、クラリネットを演奏し、大川創業社長でもあった大川進一郎さんでした。
『関西フィルハーモニー管弦楽団』と命名し、運営代表として、オーケストラを支え続けて下さいました。
その後幾たびか危機がありましたが、その都度沢山の方々のご支援、ご協力のお陰で、今では関西の老舗オーケストラと言われるまでに成長させて頂きました。
私もこれまで心を奏で必死で演奏してまいりました。
今すぐにでも舞台に立てるよう、鋭意精進しております。
皆様に最高の音楽をお届けできますよう祈りながら。
ファゴット首席奏者 星野 則雄